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薬草医ラルフ『龍執事のハテナすぎる角』

Medical Herbalist Ralph ≪ Dragon Butler's Jargon Antlers ≫ (←一応、韻を踏んでいます) 辰年生まれのおっさん生活はいつも何かが ” 深い ” です。日々の出来事を綴ったり、興味のあるものを調べたり、料理の話をしたり、時には手芸や薬草の話をしたり。そんなこんなのブログです。できればPCからの閲覧にご協力くださいませ(スマートフォンでは読みづらいはずです)。

東瀛ノ國ニテ用ヰラルルハ、劃スルコトニ候フ。

私は『漢文・漢詩』を ” 国語 ” で取り扱うことに今まで反対でした。


どう考えたって中国語ですよね。


漢文を読むにあたって、古代中国の歴史背景を知らなければ話がわからないですよね。そのためにわざわざ時間を割いて、中国の歴史の説明をすることが『国語』という範囲から逸脱していると感じています。

故事成語や漢字の成り立ちを理解するには漢文・漢詩が不可欠がという学者的視点もわかります。でも、故事成語を勉強するのにその基となった漢文はもはや読みません。すでに日本語訳された文章が載っています。

このことから漢文・漢詩を ” 国語 ” で取り扱うことに対して『反対派』として、今日まで過ごしてきました。


今日までは(・ω・)


さあ、私にいったい何が起きたのでしょうか。じつは ” ある物 ” を見て考えさせられたのです。それは一体なんでしょう。


答えは『学習指導要領』です。


このブログでも討論のネタとして、たびたび取り上げています。見ていると面白いですよね。特にいろいろな科目の内容は、見ていて飽きないです。

そして今回は、『昭和26年』の学習指導要領が話のネタです。そのなかのこれです。

  第七章 国語科における漢文の学習指導
    一 漢文学習の範囲
    二 漢文学習の意義

この2節を読んで、教育者たちの ” 漢文・漢詩によせる想い ” を感じたのです。その2節を書き出したいと思います。

ということで、ものすごく長くなります。



       ◆◆◆◆◆◆



第七章 国語科における漢文の学習指導


 一 漢文学習の範囲

【漢文体の文章はもとは漢民族の書きことばであったが、訓読された漢文体の文章は、わが古典のなかに はいる。ゆえに漢文は国語科の中で学ばなければならない】

 漢字・漢語はもとは漢民族によって作られ、漢文体の文章はもとは漢民族によって書かれたものではあるが、しだいに、漢字文化圏内の諸民族間共通の書きことばとして用いられるようになった。わが国においては、漢籍伝来のはじめには、漢文はそのまま音読され、そのような文体が学んで作られていたらしいが、やがて漢字の音や訓を借りて、わが国のことばをしるすようになり、いわゆる訓読が行われて、これを学んで作る場合にも、訓読する気持ちで作ることが多いようになり、自然に、純粋の漢語でないことばも文の中に はいるようになった。したがって、漢文とはいうけれども、わが国で読まれ、書かれてきた漢文は、わが文章語体の一種であり、わが国語として扱われてよい性格を有し、わが古典の中に はいるものである。

 ゆえに、漢文学習は国語の古典学習の一部分として当然行われるものであり、なお、漢字・漢語はわれわれの日常のことばの中にも生きているものであるから、漢文学習および漢文的なものの学習については、現代語の学習の中ででも行える部分があり、それらについては、これまでの各章の中で触れてきたのであるが、漢文の中の語の配置などは国語と違っており、訓読する場合には特別の符号もあり、いろいろ変わった表記法があるから、漢文を原文のままで自由に読んでいくには、それだけの知識と技能とが必要である。また、高等学校においては、生徒の志望・趣味・個性などによって、そうした漢文のみを特に選択して学習することも必要である。


【漢文学習のおもな対象は、訓読された漢文体の文章である。漢文は訓読されることによって、はじめてわが国語生活と結びつくものであるから、漢文学習は訓読の方法によらなければならない。】

 ここに漢文とよぶものは、
  (一)漢民族によって作られた文語体の詩文。
  (二)それを学んで日本人が作った詩文。
のことであり、広い意味では、
  (三)日本語を混じた漢字のみの文。
も はいる。そして、これらの漢文は、昔からわが国のことばで訓読されてきたものであり、その訓読の形式が国語に大きな影響を与えてきたのである。したがって、漢文は訓読されることによって、はじめて わが国語生活と結びつくものであるから、訓読することは、漢文学習における必要な条件である。


【漢字・漢語の中には、現代国語の中に、生きているものが多く、漢文の訓読がわが国語の中に、いわゆる漢文口調の文体を生み出し、漢文でしるされた内容がわが文学にも影響したことが多いから、漢文的なものの学習は、一般国語学習においても必要である。】

 漢文学習のおもな対象は、前に述べたような国語となった漢文であるが、そうした漢文的なものの学習は、さらに広い範囲にわたる。元来、漢字はわれわれの言語生活を豊かに育ててきた重要な要素であるから、今日の国語の中にも、文字・語彙・文法・文体などに多くの漢文的要素が生きており、これを無視しては国語学習は完全には成り立つまい。この漢文的なものの学習は、漢文学習の重要な手がかりとなるとともに、国語学習の効果を増すことになる。

 漢文的なものの学習の中には、次のようなものがある。
  (一)漢字・漢語。
  (二)漢文の書き下し文。
  (三)漢文を国語に訳した文。
  (四)漢文訓読の影響を受けてできた、いわゆる漢文口調の文。
  (五)その他、漢文学習の助けとなる各種の資料。




 二 漢文学習の意義

【漢文はわが言語文化の背景となったもので、われわれの言語や文学の中には漢文的要素が多くとけこんでいるから、わが国語や文学や、広く文化一般を正しく理解するために学習されなければならない。】

 従来、漢文学習の意義はさまざまに考えられ、あるときは儒教的な実践道徳を学ぶ手段とされ、また、あるときは単に外国語・外国文学の学習の一つであるとされた。もちろん、その内容を今日の観点から批判したり、文芸作品として観賞することはたいせつであるが、今後の漢文学習は国語生活を中心として行われ、国語の知識・理解・技能を高めることに、これまでよりもいっそう深く注意することが重要である。われわれの言語文化は、漢字・漢語・漢文を媒介として、しだいに高く豊かなものに仕上げられてきたものであり、われわれの言語や文学の中には、多くの漢文的要素がとけこんでいるから、漢文の学習は、わが国の言語文化の背景を学習するものとして意義あるばかりでなく、
わが国の言語文化そのものの必要な部分を学習するものとして意義を持つ。この意味において、わが国の言語や文学や、広く文化一般を正しく理解するためには、漢文の学習は必要である。


【なお、漢文の学習は、広く東洋文化の淵 (えん) 源を知り、東洋各地の相互関係を知り、われわれの隣邦への理解を深めることにも役だつ。】

 漢文は
いわゆる漢字文化圏内の共通の書きことばであったから、漢文を学習することによって、東洋古来の文化および東洋諸国の相互関係の理解を深め、隣邦への関心を深めることもできる。さらに進んでは、近隣諸国の言語・文学・歴史・哲学・社会などを研究して、深い知識を身につけようとする場合の重要な基礎となる。


【国語科の教育課程における漢文学習のおもな意義を列挙すると次のようになる。】

1 漢文は古くから、わが国で読まれ、そのおもなものは、わが国の重要な古典になっている。

 漢文が国語で読まれるようになってから、漢文の代表的なものは、しだいに広く愛読されるようになり、また深く理解され、その中にあるものは、国文の典籍よりも普及し、漢文はわれわれの重要な古典となって、だんだん深くわれわれの言語生活の中にとけこむようになった。ゆえに、漢文といっても、実はわが国の古典としての位置を持つものであり、われわれの知能・情緒・性格の形成に大きな役割を果たしてきた。さらに、漢文は世界的な古典として、それ自身、独自の値打ちを持つものであり、しかもこのように長い時代の試練を経て、われわれの古典となってきたのであるから、これを正しく理解する技能や態度を身につけることは、われわれが人間的に成長し、生活を明るく豊かにしていく上でも、また、世界的な視野に立った新しい意味での東洋的な知性と教養を高めていく上においても、望ましいことであり、必要なことである。

2 わが国は古くから漢文や漢文調の文章を書きことばとして用いてきた。そうしてそれらの中には、わが国の重要な古典となっているものもある。

 わが国は古くは、漢文を国語として用い、法令・歴史・詩文など、各種の公用文を始め、生活記録に至るまで、漢文や漢文口調の文章をもって書きしるすのが普通であった。そうしてそれらの中には、わが国の重要な古典になっているものもあるから、わが国で作られた漢文は、まったく古い国語の一形態であり、わが古典の中に重要な位置を占めるものである。この意味において、漢文の学習は、国語科の教育課程において、意義ある一つの位置を占める。

3 国語は、文字・音韻・語彙・文法・文体などのあらゆる面で、漢文と深い内面的な連関を持っており、新しいことばが作られるときなどにも、漢字・漢語を用いることが多い。国語の知識・理解・技術・能力・観賞・理想を高め、また国語の発達を図ろうとする態度を作るためにも、漢文の学習は必要である。

 国語は長い成長の過程を通じて、漢文と切り離すことができない本質的な関係を持つようになった。われわれの日常の話しことば、特に書きことばの中には、多くの漢文的な要素がとけこんでいる。われわれが日常無意識に使っている、さまざまな用語や格言などを正しく理解するためにも、あるいは文法や語彙の組み立てを理解するためにも、あるいはまた、漢字・漢語の持つ特性を活用して、力強い表現をするとか、ひきしまった簡潔な表現をするとか、改まった厳粛な表現をするとか、すべて語彙を豊かにしてそれを効果的に表現することに慣れるためにも、その他いろいろな面で、われわれの国語の知識・理解・技術を高めるためには、漢文の学習は必要である。また社会生活の必要に応じて新しいことばが作られるときなどにも、漢字・漢語を用いる場合が多く、わが国の明治以来、急速に世界の文化を取り入れることのできた一つの理由は、国語の持つ漢字・漢語の特性を利用して翻訳語を作りえたからであるとさえいわれる。しかしながら、他面これまでの国語には、漢字・漢語を濫用してきた弊害もまた著しい。したがって、国語を正しく発達させるためには、漢字・漢語の持つ意味や特性について理解する必要がある。この点において、国語の発達に協力しようとする態度と能力を作るためにも、漢文の正しい学習が望ましい。

(※ひらがなから漢字へ書き直している箇所があります)



       ◆◆◆◆◆◆



漢文はもともとは漢民族が書いたものだけれども、日本に渡ってきた時に祖先の人々が日本語のように読む『訓読』の技術を開発したんですよね。そして、みんなで漢文を読んでいたら生活に溶け込んでしまい、日本語のなかでも重要な部分を担うまでになったんですよね。なので、日本語の一部として国語で扱ったほうがいいんじゃないか、という考え方ですよね。

私の憶測ですが、生活に溶け込んだものは故事成語のことではなく、” 漢文口調 ” のことではないかと思うんです。たしかに『漢文口調(漢文体)』は格好いいですよね。昔の軍人さんみたいで。それから、儒教などの思想が道徳形成に入り込んでいると言っているような気もします。

いずれにしても、私が気を留めたのはこれではありません。


私が考えさせられたものは、漢文学習が『東洋文化』や『東洋諸国の相互関係』の理解を深めることができるという考え方です。


なんて広い視野でものを見ているのだろう、と感心したんです。漢文を学習することで、漢字文化圏(中国とたぶん朝鮮も含む)の国のことをわかろうとする精神に感銘を受けました。


これこそ日本人の心だと思います。


韓国や北朝鮮は漢字教育をやめてしまったそうですよね。ということは、このような精神がないということと等しいと言ってもいいのでしょうね。

反日感情むき出しで『日本の○○は韓国が起源だ』と執拗に稚拙な主張をした韓国。同じく反日感情むき出しで、さらに国際ルールを無視しまくってやりたい放題の中国や北朝鮮。もはや相互関係のカケラさえない隣邦国です。こんなひどい隣邦国でありながら、日本は『相互関係の理解を深める』という姿勢を、漢文学習という形で示しています。

漢文を学習するという姿勢が、稚拙な隣邦国との一線を劃(画)していることに等しいと言ってもいいと私は思います。


ということで、漢文を国語で勉強してもいいかな、という気持ちが芽生えたのでした。漢文口調(書き下し文)の観賞をもう少し多めにしてほしいですね。

でも、今現在の教育現場はどうかというと、『受験のためだけ』の勉強ですよね。漢文口調のことばの響きを堪能するために漢文を学ぶことなどミジンコ程度もありません。大学受験で1問でも多く正解するために漢文を習うのが現状ではないでしょうか。

昭和26年の教育者は、今現在の高校の勉強を見てどのように感じるでしょうか。『教養が豊かになると心も豊かになる』生徒が多かった昭和時代とは明らかに違いますよね。教養が増えても視界が広くなることもなく、心もゆとりはあるのに豊かではない生徒に仕上げる平成の教育に ” 時代のちがい ” を感じて一抹の寂しさを感じるかもしれません。

あくまで私の憶測ですけどね。



それで、本当は国語科の科目の変遷について書く予定だったのですが、予想をはるかに超える長文になってしまったので、記事をふたつに分けたいと思います。

では、次回に続きます。




【注意】
今回の記事はヘイトスピーチのような文章を含んでいますが、ヘイトスピーチではありません。ただの『物言い』です。誤解なさらないように。



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あなたが消滅した国。 ~ 大学センター試験『工業数理』

【注意】
この記事での ” ゆとり教育 ” は平成4年から実施された学習指導要領を指しています。




知りませんでした。


2017年のセンター試験で『工業数理基礎』が廃止


まずはビックリしました。そして悲しみに暮れました。センター試験自体が廃止になる前に廃止されるなんて信じられません。


私は『工業数理』の大ファンです。


このことは以前ブログにも書きました。

 ⁂ 彼と会えなくなるのは寂しい。(2013年10月28日)

工業数理は、大学検定(現・高校卒業程度認定試験)とセンター試験のいわゆる『ツートップ』の科目として活躍していましたが、大検のほうが廃止になってしまいました。そのあとはセンター試験のみの活動となってしまいましたが、それさえもなくなってしまうようです。

公的な場で工業数理に会えなくなってしまうのは本当に残念です。


すべては ” ゆとり教育 ” という名の国家プロジェクトが悪いんです。


ゆとり教育以前の学習指導要領では、工業数理は工業高校の必須科目でした。学習指導要領で『すべての生徒に履修させること』としていたんです。それがゆとり教育になると、なんと必須科目から外されてしまったんです。

しかも、不名誉なことに ” 基礎 ” という語が付け加えられてしまいました。どう考えても内容が薄くなったと思わせますよね。

これが工業数理の運命を大きく狂わせてしまうことになりました。



       ◆◆◆◆◆◆



確かに私が現役の高校生だった頃も、工業数理は受験者数が少なかったです。それは『工業高校の生徒だけ選択を認める』という制限があったからです。

普通科の生徒は数学2で工業数理を受験することはできました。でも、大学側がその成績を使ってくれないんです。大学入試は卒業者も含め普通科の生徒が大部分ですから、工業数理は ” マニアックな科目 ” と見られていました。

そんなマニアックな科目の受験者数がどのぐらいいるか、その推移と平均点を見ていきたいと思います。資料は独立行政法人大学入試センターさんからお借りしました。

まずは『工業数理』という科目名だった、平成2年(第1回)から平成17年(第16回)までを振り返りたいと思います。



平成9年からゆとり教育に対応した科目が始まりました。なぜか平均点がガクッと落ちていますよね。平成9年から出題傾向が大きく変わったように私は記憶しています。

まだ受験者数は3ケタの時代でした。

では、科目名が『工業数理基礎』に変わった平成18年(第17回)から平成28年(第27回)までを振り返りたいと思います。



平成20年からは最高点と最低点も掲載されていました。

受験者数が2ケタですね。そして年々減少して、とうとう平成28年は1ケタの4人しか受験しなかったようです。本当に寂しいです。



       ◆◆◆◆◆◆



独立行政法人大学入試センター『平成28年大学入試センター試験からの出題教科・科目等について(最終まとめ)』にはこんなことが書かれていました。


 専門学科に関する科目は、「中間まとめ」において「これらの科目のうち受験者数が他の教科・科目と比較して極めて少ないものについては、平成28年度大学入試センター試験からの出題について慎重に検討する。」としていた。「工業数理基礎」、「簿記・会計」及び「情報関係基礎」のここ数年の受験状況を見ると、「簿記・会計」は1,300人程度、「情報関係基礎」は600人余りの受験者がいる。しかしながら「工業数理基礎」の受験者数は、近年減少傾向が継続し、過去5年間では70人以下となっており、平成24年度大学入試センター試験では、42人であった。
 また、工業系学科出身者の受験状況を見ると、「情報関係基礎」の受験者数が、「工業数理基礎」の受験者数を常に相当数上回っており、「情報関係基礎」が工業系学科出身者の代替になっている。このような状況から専門学科に関する科目は、「工業数理基礎」を除いた「簿記・会計」および「情報関係基礎」の2科目を継続して出題することとする。


言いたいことはわかります。受験者数が極めて少ない科目にテスト作成費など出せないということでしょう。でも、工業数理の受験者数が減少した原因は『情報関係基礎』に受験者が流れていったからではありません。


『工業数理』の受験者を減少させたのはこの国です。


ゆとり教育で数学と理科が改悪されたのは有名な話ですが、工業数理も国家レベルで失墜させてしまったのです。



       ◆◆◆◆◆◆



ゆとり教育前の学習指導要領を見てみましょう。今現在、ホームページにも詳しい資料が残っていないので、私の持っている資料で具体的な内容を補足しています。

(1)工業の事象と数式
 ※具体的な建造物や乗り物を例にして、具体的な数式や計算などを取り扱う
(2)面積、体積、質量などの積算
 ・面積、体積
 ・仕事とエネルギー
(3)量の単位や誤差などの数値の取扱い
 ・国際単位系(SI)
 ・指数関数 ・対数、対数関数
(4)液体などの流れと圧力
 ・液体の流れと圧力(水圧機、流速と流量、ベルヌーイの定理)
 ・電気の流れ(オームの法則、キルヒホッフの法則)
 ・熱の流れ、物質の流れ(熱収支と熱効率、物質収支)
(5)構造物などの部材の設計に関する計算
 ・力とベクトル
 ・応力(引張応力と圧縮応力、せん断応力)
 ・変形(フックの法則)
 ・はり(曲げモーメント、曲げ応力、はりの変形(たわみ) )
(6)時間とともに変化する事象のモデル
 ・微分 ・積分
 ・周期運動(単振動)
 ・微分方程式
(7)予測と計画に関する基礎的な手法
 ・データの整理(平均値、標準偏差、相関係数)
 ・変動の予測(基礎的な予測、回帰直線のよる予測)
 ・オペレーションズ・リサーチ(領域、線形計画法)
(8)情報と制御に関する基礎的な計算技術
 ・2進数
 ・ディジタル技術(論理演算、ブール代数、論理回路設計)
 ・フローチャート

その他、『工業数理を学ぶための数学』ということで以下の内容も含みます。
 ・方程式と不等式
 ・関数とグラフ
 ・三角比(弧度法を含む)



続いて、ゆとり教育になってから(工業数理基礎)の学習指導要領を見てみましょう。

(1)工業の事象と数式
  ア 工業の事象の計算
  イ 面積・体積・質量の積算
  ウ 単位と単位変換
(2)基礎的な数理処理
  ア 力とエネルギー
  イ 力と釣り合い
  ウ 流れの基礎(電気・水・熱の流れの基礎的な内容)
  エ 計測と誤差
  オ 工業の事象とグラフ
(3)応用的な数理処理
 ・構造物の安全性、流れとエネルギー、時間とともに変化する事象などの基礎的数理処理
 ・微積分を用いる場合は、基礎的な内容を扱うこと
(4)コンピュータによる数理処理



ゆとり教育は、やけに『基礎的』ということを強調しています(・ω・)


工業数理との違いは ①内容の区分けを変えた ②” 時代 ” を組み込んだ(コンピューター等の情報分野)、この2点だけのように表面上は見えます。

でも、決定的に違うことがあります。


指導内容が内容が抽象的で漠然としている


具体的にではなく抽象的に書くことによって、いろいろな解釈が生み出されます。その『いろいろな』の部分によって ” 教育の自由度 ” を増加させようとしているように私は思います。一見よさそうですよね。


でも、自由になった部分を埋めるだけの発想力・思考力がなければ、ただの空白です。


それがこの国家プロジェクト最大の盲点だったと私は思います。学習指導要領が ” 漠然 ” としてしまったがために、工業数理が犠牲者になってしまったと私は思います。



       ◆◆◆◆◆◆



でも工業数理は、このまま学習指導要領からさえ消えてしまう弱い科目ではありません。『工業高校魂』を見せつけてやりましょう!

ということで、『工業数理』の運用を考えてみました。

まず ” 基礎 ” という語は取り除きます。学習内容や範囲が縮小・限定されてしまいます。『工業数理』という科目名を復活させます。

” 工業の事象を数式などの数学的な視点から考える ” という基本的な考え方はそのままで、数学ⅡやBなどの代替科目になるような内容にすればいいかなと思います。具体的には『三角関数(加法定理を除く)』『指数・対数関数』『微分法』『積分法』『ベクトル』『数列(漸化式を除く)』の内容を組み込む感じです。

変な言い方ですが『工業の気分を味わいながら数学Ⅱ・Bを履修できる』という感じです。言い換えれば『数学探究・工業編』といったところでしょうか。

他にも組み込みたい内容はいっぱいあるのですが、それなら数学Ⅱ・Bを履修したほうがいいんじゃない?となってしまうことと、時間的に無理なことから最小限にとどめておきました。

そして、まことに僭越ながら『工業数理』の教科書の表紙をデザインしてみました(笑)



工業数理ってこういうイメージなんですよね。工業数理を擬人化するとしたら、私は ” 作業着を着た男性 ” を連想します。男性は美青年やおじさまではなく、ガテン系の野郎、職人気質のおやっさんです(笑)

第二次産業ではたらく人々は『工業数理的思考回路』であってほしいと願う私でした。



       ◆◆◆◆◆◆



でも、悪者は国だけではありません。


私も悪いんです(TωT)


大学受験が終わってからも ” 力試し ” として、センター試験で『工業数理』を受験していればよかったんです。受験者数に貢献していれば、工業数理は消えずに済んだかもしれません。

工業数理の大ファンなら、毎年センター試験の工業数理は受験していて当然と言われそうです。そう言われても返す言葉がありません(当然ですから)。

とにかくセンター試験の過去問をまだ入手できるので、愛する工業数理が歩んできた証を個人的に残しておきたいと思います。



※今回の画像はインターネットのあちらこちらからお借りしました。



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Barbarians' Gaol(野郎たちの刑務所) ~ 男性こそしつけ教養すべき。

【注意】
この記事は差別的発言と取れる用語が含まれています。筆者は差別用語としては使用しておりません。そのことを念頭に置いたうえで記事を閲覧してください。


私は紳士になる修行中です。

『行儀』『躾(しつけ)』『教養』は必須です。

 

【行儀】
周りに対する自分のふるまい。いわゆる『エチケット』です。

【躾(しつけ)】
社会に対する自分のふるまい。いわゆる『マナー』です。

【教養】
そのふるまい方。いわゆる『モラル』です。学歴のことではありません。


この3つは結構なエネルギーを消費します。


肉体的に姿勢を正し続けるとき、筋肉も使いますし、気も使います。つまり、エネルギーを使っています。

この3つも同じです。『気にすること』『気にかけること』『見た目良く動くこと』。これらもエネルギーを使います。


今、このエネルギーを消費しないようにする人が急増中ですよね。




つまり、エチケットもマナーもモラルも無い人のことです。
 

 
 
女性の場合は『しおらしくしなさい』『女性らしくしなさい』という社会的風潮があるため、しつけ教育の機会が多いと思います。

問題は男性です。『そういうものは必要ない』という風潮がありますよね。だからというわけではないですが、刑務所受刑者の9割が男性です。


男性こそしつけ教育が必要だと思います。


日本人男性は自分たちを『侍(さむらい)』だと形容しますが、それはしつけ教育あってのことです。しつけ教育もされていない男は、侍と名乗る資格はありません。

『侍』は絶滅危惧種になりました。非常に残念です。



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プロフィール

HN:
薬草医ラルフ
年齢:
42
性別:
男性
誕生日:
1976/03/08

P R

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